プラープダー・ユンの新刊エッセイ集『座右の日本』。いよいよ来週配本開始となるこの本の制作背景をご紹介すべく、このサイトで対談記事を企画いたしました。お願いしたのは、映画『地球で最後のふたり』の舞台裏を詳しく取材されたこともある映画ジャーナリストの立田敦子さんと、『座右の日本』の翻訳を手がけられた国際交流基金職員の吉岡憲彦さんのおふたりです。刷り上がったばかりの本を手に、プラープダーの人物像から、おふたりの「座右のタイ」、映画のお話まで、面白いように話は膨らんでいきました。興味深い内容ですので、ほぼノーカット、ノーエディットで、4回連載といたします。
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<『座右の日本』の翻訳を終えて>
立田敦子(以下、立田) 『座右の日本』は、日本文化に対して一家言あって、かなり積極的に発言しているプラープダーらしいエッセイ集ですね。短編集(『鏡の中を数える』)も読ませていただいて、訳者の方にお聞きしたいなと思ったのは、彼の文を日本語に訳す際、何かをイメージして文体を決めてらっしゃったのか、ということです。原語以外のものは当然、誰か訳者のフィルターを通されるわけで、本当にその著者の声かどうか、読者としては気になりますよね。彼も本書の中(「聞いた話」)で書いていて、ああ、彼もそう思っているんだなと分かったんですけれど。例えばプラープダーの風貌や話し方などを意識したりして訳されたのでしょうか?
吉岡憲彦(以下、吉岡) 僕自身、そんなに文体を使い分けられるほどでもないのですが、例えば男性の「私」、「俺」、「僕」にあたるタイ語は基本的にはひとつしかないんですよ。「俺」みたいな言葉も一応あるんですが、文章ではあまり書くことがないし、エッセイでそれを使ったら、ひどく乱暴に聞こえるので、だいたい「ポム(あるいはポン)」という、英語の「アイ」みたいな言葉が使われます。プラープダーさんもこの言葉を使っているのですが、彼の場合、「私」というよりは「僕」と言っているようなイメージがあります。それから普段の話し方や文体でも「〜だが」よりは「〜ですけれど」みたいな柔らかめなイメージがありますね。なので、そのあたりは少し意識しました。また例えば日本語でも「出現」と「現出」のように、漢字を逆にしても意味が通じる語彙ってありますよね。プラープダーさんの場合は、そういったちょっとマイナーな言い方を選ぶ傾向があると思います。
立田 あえてそういうものを選んでいるんですね。
吉岡 そういう感じがします。うまく置き換えられていないかも知れませんが(笑)、訳出では少し意識したつもりです。タイ語の原語だと、読んでいてちょっとゴツっていう感じがあるはずなんです。あれ、こういう言い方するんだ、みたいな。でももちろん、大江健三郎さんみたいな難解な文章ではないんだと思います。
立田 そういうことについては、ご本人に確認したりなさるんですか?
吉岡 ちょっとだけですけどね。彼は日本語は分からないですし、まあ、訳して下さい、としか言われないんですよ。
立田 日本語は分からないって彼自身も言ってますが、これだけ日本が好きなのに、本当に分からないんでしょうか? 謙遜じゃなくて? 勉強したとも書いていますよね。
吉岡 どうしてでしょうね。全然上達しないですね(笑)。英語とタイ語があまりにできちゃうので、3つめが面倒くさいのかも知れません。
立田 英語ができる方に多いパターンですね。そもそも、吉岡さんは彼とどういう形で出会われたんですか? 吉岡さんが『地球で最後のふたり』のケンジのモデルとも言われていますが。
<『地球で最後のふたり』以前>
吉岡 僕は国際交流基金で働いていて、1999年から2004年までタイに行っていたんです。70年代からある職場なんですけど、自分たちの仕事は日本の文化を海外に紹介することと、海外の文化を日本に紹介するということになっていて、特にマーケットにのらないものをベースにやっていたんですね。僕がタイに行った当時、基金のイベントに来る人の層はけっこう限られていました。広報費がなく、広告を打つことがほとんどできないので、一般になかなか広まらないんです。地道に記者の方に直接電話したりして、手探りで広報活動はやるようにしていましたが、限界がありました。それが映画祭イベントの時に、たまたまプラープダーさんと当時つき合っていた方がいらっしゃって…。
立田 なんという方ですか?
吉岡 ウムさんという女優さんでした。ピンパカ・トウィラさんという映画監督に誘われて来てくださったんです。彼女はペンエーグ(・ラッタナルアーン)監督の『わすれな歌』でも主演した有名な方で、テレビが彼女の動静の取材でついて来たんです。僕らの仕事でそういうことはめったになかったので、すごくビックリしていたら、プラープダーさんも日本に興味があるんだという話を聞き、ピンパカさんがとりもって一緒に食事をすることになったんです。最初はプラープダーさんも基金のことなんか知らないし、どういう意味で日本が好きだったのか僕も分かりませんでしたが、でも彼が何度も来てくれれば、すごく広報効果があるなと思って(笑)、けっこう積極的に話しかけたんですよ。「日本が好きだと聞いたんですけど」と。そしたら、すごくうさんくさそうな顔をされたのを覚えています(笑)。でも何回もイベントをやっているので、その都度案内状を出してお誘いしていたら、ああ面白いじゃないかと、何度も何度も足を運んでくださったんです。こちらも信頼を得て話をしているうちに、実はどんどんエッセイも書いているし、小説も書いていて、次は映画の脚本も任されているんだ、みたいな話を聞きました。
彼は外で仕事をするのが好きみたいなんですが、バンコクの国際交流基金(日本文化センター)には図書館があって、そこへも仕事しに来てくれるようになりました。日本語を勉強している学生などがよく来る、知る人ぞ知る場所だったんですが、無料でずっと座っていられるし、日本の雑誌もあるしというので、彼にとっても都合のよい場所のようでした。
立田 それで『地球で最後のふたり』では、そこの設定を借りたわけですね。それは何年頃ですか?
吉岡 2000年には知り合っていたと思います。そのあと何度かお会いしてから、映画のお話を聞きました。
立田 彼の作家としての最初の印象は、どんなものでしたか?
吉岡 一番最初に、文体がどうだとか、タイ文学の中でどういう位置づけかというよりも、その発想が好きになりました。それまでタイのいろんなエッセイを読んでいても、海外の話を紹介しているエッセイでも、日本にもそういうエッセイはあるから知っているや、と思ってしまいますし、あまりにタイのドメスティックな内容だと入り込めなかったりします。でも彼は自分で考えたことをそのまま書いていている。その発想が面白かったんですよ。
(以下、12月8日更新分に続く)
※写真は『地球で最後のふたり』スチール写真。国際交流基金バンコク日本文化センターの図書館が舞台のひとつになった。
■立田敦子(映画ジャーナリスト)
学生時代より編集者、ライターとして活躍を始め、その後、映画ジャーナリストに。インタビューする映画人は年間100人を超える。『FIGARO JAPON』 『ELLE JAPON』『VOGUE NIPPON』『エスクァイア』『キネマ旬報』などで映画評やコラム、インタビュー記事などを執筆している。公式ブログは、こちら
■吉岡憲彦(国際交流基金職員)
1974年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、国際交流基金に入社。1999年から2004年まで同基金バンコク日本文化センター勤務、現地での日本映画祭、展覧会、舞台公演などを担当。帰国して現在は、国際交流基金芸術交流部造形美術課職員。共著に『アジア映画』(作品社)、翻訳書としてプラープダー・ユンの『地球で最後のふたり』(ソニー・マガジンズ)などがある。
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Posted by sublimeco at 22:51
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特集「座右の日本」