2008年01月20日

対談【「座右の日本」と日タイカルチャー新次元】(3)

<タイのアーカイブ系が動き始めた>

吉岡 『タムくんとイープン』は、どういう経緯で生まれた本なんですか?
 
木村 出版社から、描き下ろしで漫画本を出したいという話がありました。日本のことを描く漫画をやりませんか、と。その後、タイでもタイ語訳本が出ました。

吉岡 タイのタイフーン・ブックスからでしたね。タイで日本についての本がたくさんヒットしていますが、その成り立ちとは違うんですね。

木村 そう、日本の本の企画が先でした。表紙にしても本当にその編集者のディレクションで、要はタイ人から見た日本をやらせたいというのがあって。ただウィスットがタイ版で表紙にしたのは、自分でした。自分が日本にいてどう思っていたかという、中身とよく合っていたわけですね。表紙に関しては日本版のほうがちょっと浮いちゃっているかもしれないです。編集者はたぶん日本人論みたいな漫画をやらせたかったし、ウィスットもそういう話を聞いていたけれども、結局、3年くらい神戸に住んでいる中の最後の6カ月くらいでやっているので、日本ダイアリーみたいな感じになりました。ただ、初めて日本へ来た時に感じた「嫌さ」とかを、よく忘れないで憶えていたな、とは思いましたね。

吉岡 面白いですね。これっていつ発売でしたっけ?

木村 2006年7月です。

吉岡 日本の読者は、どう思ったんでしょうね。読んだ方の感想などは木村さんのところに届いていますか?
木村 こういう気持ち忘れてた、とか、常々思っているんだけど、なかなかこうは表現できないとか。スポーツジムの見学時に親切で優しかったお姉さんに、街で会ったらめちゃめちゃ冷たい顔でシカトされたって話なんか、よく分かるっていうのも。あと、日本をけなされてるのか誉められてるのか全然分からない、というコメントもありましたね。表現がすごく正直ですからね。それと、実際に長く住んでいたから、住んでいた者として『座右の日本』とはちょっとタイプが違う見方になっていますね。

吉岡 そうか。より具体的ですものね。

木村 プラープダーさんは住んでいないから、そうじゃないよと日本人は思う点もあるかも知れないですけど、本当にストレンジャーが来て書いているものとして、気づかされるところはやっぱり多いですよね。あと『座右の日本』には、日本に詳しいタイ人という視点だけじゃなくて、ニューヨークに住みながら日本を見ていた人の視点という、もう一個、別の視点があるんですよね。それがすごく面白い。ロンドンやパリ、ニューヨークなどの留学生仲間では、日本人とタイ人が仲よくなりやすいという話がありますね。プラープダーさんはそれをちゃんと自分も体験していて、かつ、この本の中で描いているので、それもすごく面白いんですよ。だから、日本論みたいなのに、タイのことも一緒に見れている、タイ論ぽいところもありますね。『座右の日本』って、タイの基礎知識がなくても読めるタイビギナー向けの本かなと思っていたんですけれども、読んでいると、そうじゃなくて、タイのことをよく知っている日本人も、タイのことをすごく発見できる本かなと思いました。

吉岡 これはないんじゃない、って思ったところはありましたか? もっと勉強しろよ、みたいな。

木村 そうだなー…。『ロスト・イン・トランスレーション』の評論にはうなずきましたが、『フラガール』の議論がちょっと分かりづらかったですね、後半の、そのフラガールたちがヨーロッパ的な要素を入れるのをエンターテインメントっぽく評価している。でも、フラダンスの話題が入ったりするじゃないですか。この議論がちょっと、どういうふうに進行しているのか、分かりづらかったです。

吉岡 その後半のほうの議論が、実は僕は好きで。『フラガール』はそういう映画だけれども、タイでは外国の文化をあんなに一所懸命頑張るところまで行かない、という話でした。例えばテレビ番組でいうと『TVチャンピオン』とか、料理の達人みたいな、ラーメンの味の違いが分かる人とか、ケーキもちょっとかじるだけでどこのケーキか分かっちゃう人とか、日本人はジャンルを極めようとするじゃないですか。失礼な言い方ですが、それがなかなかタイの中では見えてこないなって感じたことがあります。

木村 良さを測る基準となる物差しが、タイと日本とでは違うのかなって僕は思っています。タイの良さって、日本の物差しでは測れない良さなんですよね。アーカイブしていかない良さ、というか。逆にタイの人って、雑誌編集とかデザインとか、サラッと器用だし、編集感覚がとっても上手なんですよね。いろんなパソコンのアプリケーションを駆使して、サクサクサクっといろんなものを作っちゃったり。そんな点は日本人より上手だなと思っているんです。でも日本人はもっと突き詰めて歴史化してしまって…。

吉岡 そうなんです。それを僕も思ったことがありますね。基礎的な部分を例えばアートと考えて、応用をデザインと考えるとすると、日本は一応、両方頑張っていると思うんですけれど、タイって応用のほうだけをちゃっかり取ろうとしているイメージがあるんです。

木村 そうかもしれないですね。

blacktiger吉岡 デザインがうまい人は、確かにすごいなって思うんですけれど、そこから次に行こうとした時に、基礎の層がちょっと薄いために進まないイメージがあります。僕はウィシット(・サーサナティヤン)監督の『怪盗ブラックタイガー』を封切当時にタイで観た後で、すごい感動して、タイの普通の人たちに面白い、面白いって言ったら、え? っていう感じでした。映画評論関係の人たちは面白いと言っていたのに、当初の興行収入はすごく悪かったんです。なぜ一般の人が喜ばないのかなと思っていたら、あれって60〜70年代のタイ映画のシーンとか、考え方などが巧妙に入っていたのに、一般のタイの人にとって、それが観られないんですよね。よほど意識的にビデオを持っている人じゃない限り、観られる場所がないんです。日本だったら黒澤明も小津安二郎も全部DVDになっていて、観ようと思えば誰でもアクセスできるのに、タイの人って、よほど意識してフェスティバルや過去の回顧展みたいなものに行かないと、容易に観られないから、そこも踏まえた何かをやろうとすると、どうしても積み上がっていかない。だから表層の差異で競争しているし、応用のバリエーションだけで選択されている感じがします。音楽でも技術的には本当はすごくうまいんですよね。

木村 そう、うまいんですよ。

吉岡 誰も努力の人って顔はしていなくて、さりげなくしているけど。

木村 でも今、日本の音楽は停滞期だとよく言われていて、売上もクリエイティビティも停滞していますが、それって過去をひたすら参照して次に進まないと駄目なせいもあるんですよね。

吉岡 うーん、モダニズム的なんでしょうね。

木村 そう。越えていかないと駄目っていう強迫観念みたいなものがあったりする。でもタイの人って、アーカイブが10年間くらいしか頭にないから、あんまりそれは気にしないで、サクサク次へ進んで行けるのかも知れません。

吉岡 それはあるかもしれない。だから逆に言うと、玉石混淆になってしまって、選ぶのにエネルギーがいる。あ、新しい人が出たと思って観に行ったら全くしょうもなかったりして。そうかと思うと、いつの間にか、あれ? っていう人が出てきたりするんですよね。

木村 それが面白いんですけどね。プラープダーさんって、タイでは珍しいアーカイブ系だと思うんです。表現の仕方が瞬間でエンターテインメント、というタイプじゃない。だから、タイでやってるとストレスが溜まったり、理解してくれる人が少ないんじゃないのかな。それを自分ではどう思っているのか、知りたいですね。

吉岡 恐らくプラープダーさんは、自分の中でどんどん過去を越えて行く、いわゆるモダニストなんですよ。初期の頃はすごく実験的なことをやっていて、その後も、これまでにないものをやろうとしてるところがあって。最近はある程度時代に合わせているのかも知れませんね。


<漫画グラマーを持ったウィスット>

木村 タイの読者は『タムくんとイープン』が出た時に、絵がきれいになったのが嫌だ、という話をしていました。『hesheit』など、汚い絵でずっとやっていたので、なんか嫌だなとでも、ウィスット的には別に気にしていないみたいですけど。

吉岡 それは構わないような気がしますが。人によってはその方がいいっていう人もいますね。ウィスットさんが日本に行って帰って来た、というのはフランスでアートを習って来たみたいに、本場日本で漫画を習って来たみたいに受けとめられているのかな。

木村 タイ人は相当羨ましいみたいですよ。あいつ日本で売れてんだって、みたいな。でも、ウィスットのことをちゃんと評価しているタイ人って、プラープダーさんぐらいなんじゃないのかな。ウィスットの本はよく売れるし、読んでいる人はもちろんいるんですけど、作品をしっかり見て、一番よくウィスットのことを理解してくれているタイ人じゃないのかなと思っています。

吉岡 それはあるかもしれない。たぶんプラープダーさんがアーカイブ系の人だからじゃない? ウィスットさんも昔から、日本の漫画をたくさん読んでいるじゃないですか。

木村 ウィスットは、オタクタイプ(笑)。

吉岡 実はどっちもアーカイブ系で、ちゃんとデータベースを持っている人なのでは。飛び出る人ってそこがないと厳しいのかなと思うことがよくあります。でもそのタイの中で出てくると、そこはよく分からずに読む人が多そうです。日本の読者がウィスットさんを支持するのは、いろんなのを見た上で見ているからなのでは。本の中でも言っていましたけど、日本の読者のほうが漫画的言語が…。

木村 理解してくれますよね。読み方に、漫画グラマーがある。ウィスットがよく言っているのは、タイの読者は表面的なところをよく見たがるって言うんです。きれいだとか恐いとか、そういうところを見るのが好きみたい。日本人は描いていない余白まで読んでくれたりする。つまりプラープダーさんもそういうところまで読めているのかなあと。

hesheit9吉岡 2人のウマが合うとしたら、たぶん両方ともアーカイブを知った上での表現だと分かっている共通性があるからなのかなと思うんです。以前、国際交流基金で日本に招待するタイの漫画家の選考を、漫画評論家の村上知彦さんにお願いしたことがあるのですが、タイの漫画をほとんど全部見ていただいたら、パラパラ見ているだけなのに、ウィスットさんを見てすぐ一発で「あ、この人にしましょう」っておっしゃったんです。

木村 あ、そうですか。

吉岡 僕はそんなにたくさん漫画を読んできたわけではないので、これってすごい雑だし、どうなのかなーって思っていたら、これはすごい、というふうにおっしゃって。だから、アーカイブがある人こそ分かるようなものだったのかなと。

木村 ウィスットの絵は雑ですけど、漫画のグラマーはちゃんと押さえていて、そこを村上さんは分かったんでしょうね。あと、プラープダーさんってすごいなと思ったのが、これじゃないウィスットの単行本が最近タイフーン・ブックスから出たんですけど、これがなんと表紙に何も文字が書いていなんですよ。背表紙も文字がない。後ろに名前がちょっと書いてあって、あとタイフーン・ブックスのロゴが汚い絵で描いてあるだけなのに、何も言わないでそれを本にしてくれたんです。たぶん、まともな経営判断で言うと、表に文字がないなんて無理ですよね。僕でも、どうかなって言いそうですけど、それをプラープダーさんは、ウィスットが持ってきたものを、いいよってそのまま本にしてくれた。いろいろ言えば、ウィスットがやりたいことが失われちゃうことが分かっているんですね。それをそのまま出すって、相当理解していないとできないことだよなと思うんです。本屋さんで棚に入れられると、ただの赤い本なので(笑)。それをやってくれるんですから、クリエイティビティを大切にするんだなあと、ホントにびっくりしましたね。


(以下、1月22日更新分に続く)
※ 写真は上から、「怪盗ブラックタイガー」サウンドトラックと、ウィスット・ポンニミット「hesheit9」


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