2007年12月12日

対談【「座右の日本」を読み終えて】(4)

befd4eb9.jpg<外国を描くリスクを超えて>

立田 外からの視線と内側の感覚のギャップということを考えれば、『座右の日本』も、日本について外人が映画を撮るのと同じように、リスクも背負うわけじゃないですか。日本のことは日本人のほうがよく知っているわけで。それで何か気を付けた点はありますか? 私は読んでいて、違っていても面白い、みたいなところがあると思いましたが(笑)。

吉岡 以前、彼が言っていたことがあるんですけど、あやふやなデータに頼らなければいけない時はすぐ避けちゃうと。自分で書けることしか書かないんですね。だから気負って、無理して書いている感じはないですね。訳出で何か間違いを補正したり、ということもしませんでした。『ロスト・イン・トランスレーション』についてのエッセイ(「彼女が東京を選んだ理由」)もここにありますが、立田さんとしては彼の映画批評はどうですか?

立田 『ロスト・イン・トランスレーション』に関しては、彼にインタビューした時に聞いたことがあるんです。口頭だということもあって、エッセイに書いてあることよりも辛辣なことを言っていましたね。ソフィア・コッポラという特権階級の人が上から見下している感じがする、と言っていました。すごく表面的だと。私はプラープダーとはちょっと意見が違うんですけど、簡単に言うなら、アメリカ人というのはこんな感じの見方をしているんだと分かって面白い、と思ったんです。本当のことを見るかどうかが問題ではなくて、日本の勉強もしないで日本の文化に興味も知識もないアメリカ人なら、こんなふうにしか日本を感じない。外国に行ったら積極的に理解しようという日本人と対照的に、アメリカ人はどこにいっても自分たちがスタンダードという意識なんだということが分かったという(笑)。

吉岡 そういう意味では、正直な映画ですよね。

立田 外国のことを語ったり、描いたりするのって実は、アーティストにとってリスキーで、ソフィアにしたってあの映画で自分がどのくらいのレベルの人間かジャッジされてしまうわけじゃないですか。そういう意味では無防備な映画ともいえるし。もっとインテリだったら、自分がどう見られるか気になって、ああいう映画は撮らないと思う。そういう意味でも面白かったですね。プラープダーにしてもそうですけど、外人が見た時に100%日本人と同じように感じることって不可能だし、そうする必要もないと思うんですよ。ズレがあったらズレがあったで、それは面白いと思う。外からはそう感じることが分かると日本人も受けとめるべきじゃないかと。そういう意味でも、プラープダーの視点は面白かったですね。龍安寺も外人さんに人気のお寺ですよね。日本人はたぶん、ああいうところには行かないですから。

吉岡 修学旅行で行ってるかも知れないですけど、すぐ忘れちゃいますよね。

立田 だいたい外人さんが行くお寺って、京都でも決まっていて、そこは英語の解説があったり、英語のできるお坊さんがいたりと、テーマパークに見えるのはしょうがない。名前は忘れましたが、ハリウッドの方がみんな行くところがあるんですよ。そこは配給の人とかも一緒にお供しても、外人の方以外はお断りって言われて、外で待ってなきゃいけないんです。怪しいんです(笑)。そこでお坊さんたちはなにを教えているんだろうと(笑)。

吉岡 他に、この本でプラープダーさんが取り上げた邦画の見方で、何か感じましたか?

立田 どこの国でも同じようなことがいえるのかもしれませんが、日本映画に関しては、日本人と外人の温度差がありますね。エッセイにもあった是枝監督の『誰もしらない』もカンヌ映画祭に出品されましたが、日本人批評家により、ウケるんです。『春の雪』もそうですね。先ほどもいったように、日本人が外国を知っているほど、外国人の方は日本を知らない。そういうこともあり、日本的なものを美化し、自分たちと違う感性――とくに日本的だと外国人の方が思えるような作品は、本来よりも高く評価されている気がします。
<ディスカバー・ジャパン>

吉岡 プラープダーさんも日本語ができてない部分があるので、知らないことはたくさんあると思います。誤解しているかどうかは分かりませんが。この人がもし日本語できるようになったら、どんなになっちゃうんだろうと思うことがありますね。

立田 そうですね。このエッセイ集を読んで、プラープダーは私より日本のあちこち行ってるという事実に驚きました。私なんて、高野山も行ったことない(笑)。不思議な“ディスカバー・ジャパン”体験でした(笑)。タイからの観光客の方は、みなさん、彼のように積極的に日本中を旅されるのですか?

吉岡 せっかく来るならというので、あちこち行きますよね。

立田 地方だけでなく、プラープダーは、東京でもいろんなところに出没していますね。

吉岡 日記を読むと「今日は○○○を歩いてみよう」とか書いてありますが、それがすごく新鮮でしたね。僕たちはそんな意識的に東京を回ったりしないじゃないですか。

立田 今日は、下北沢に行ってみよう、とか思わないですものね(笑)。用件がなかったら行かないですから。住むってそういうことなのかなと反対に知らされましたね。

吉岡 実はプラープダーさんを自宅に泊めたことがあるんです。練馬区にある80年代に建てられた古いアパートなんですが。別のタイの人にも何度も来てもらったのですが、池袋から電車に乗る時間も長いし、最寄駅から10分くらい歩くしで、ほとんどの人が嫌になって帰っちゃうんです。ところがプラープダーさんは、そうは考えないようでした。閑静な住宅街でいいし、途中の景色も平和で、10分くらい歩いている間にいろいろ考え事が出来るから気に入ったというんです。そんなふうに、普通のことに自分なりの何かをちゃんと見い出せるって、すごいことだなあと思いましたね。『座右の日本』には、肩の力が抜けているからこそ、彼本来の発想の面白さが顕在化していると思うんです。

立田 この本は、比較的批評っぽい長文に、短めのエッセイが挟まれた構造ですが、とても批評精神がある一方で、「みかんの皮」なんて、若い女の子のタレントさんがブログで書くようなたわいもない感じに近いじゃないですか(笑)。そういう意味で、すごく現代っぽいところもあるんだけど、分析とかアーティストの話になると、急にきつい視線になって古風なところもあって、アンバランスというか、同じ人間でもちょっと温度差がある。たぶん読者は「この人っていったい、どういう人?」って思うんじゃないでしょうか。読者の皆さんにも、読後に浮かんだプラープダーの人物像を聞いてみたいところですね。


(終わり)

立田+吉岡■立田敦子(映画ジャーナリスト)
学生時代より編集者、ライターとして活躍を始め、その後、映画ジャーナリストに。インタビューする映画人は年間100人を超える。『FIGARO JAPON』 『ELLE JAPON』『VOGUE NIPPON』『エスクァイア』『キネマ旬報』などで映画評やコラム、インタビュー記事などを執筆している。公式ブログは、こちら

■吉岡憲彦(国際交流基金職員)
1974年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、国際交流基金に入社。1999年から2004年まで同基金バンコク日本文化センター勤務、現地での日本映画祭、展覧会、舞台公演などを担当。帰国して現在は、国際交流基金芸術交流部造形美術課職員。共著に『アジア映画』(作品社)、翻訳書としてプラープダー・ユンの『地球で最後のふたり』(ソニー・マガジンズ)などがある。


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