<外国を描くリスクを超えて>立田 外からの視線と内側の感覚のギャップということを考えれば、『座右の日本』も、日本について外人が映画を撮るのと同じように、リスクも背負うわけじゃないですか。日本のことは日本人のほうがよく知っているわけで。それで何か気を付けた点はありますか? 私は読んでいて、違っていても面白い、みたいなところがあると思いましたが(笑)。
吉岡 以前、彼が言っていたことがあるんですけど、あやふやなデータに頼らなければいけない時はすぐ避けちゃうと。自分で書けることしか書かないんですね。だから気負って、無理して書いている感じはないですね。訳出で何か間違いを補正したり、ということもしませんでした。『ロスト・イン・トランスレーション』についてのエッセイ(「彼女が東京を選んだ理由」)もここにありますが、立田さんとしては彼の映画批評はどうですか?
立田 『ロスト・イン・トランスレーション』に関しては、彼にインタビューした時に聞いたことがあるんです。口頭だということもあって、エッセイに書いてあることよりも辛辣なことを言っていましたね。ソフィア・コッポラという特権階級の人が上から見下している感じがする、と言っていました。すごく表面的だと。私はプラープダーとはちょっと意見が違うんですけど、簡単に言うなら、アメリカ人というのはこんな感じの見方をしているんだと分かって面白い、と思ったんです。本当のことを見るかどうかが問題ではなくて、日本の勉強もしないで日本の文化に興味も知識もないアメリカ人なら、こんなふうにしか日本を感じない。外国に行ったら積極的に理解しようという日本人と対照的に、アメリカ人はどこにいっても自分たちがスタンダードという意識なんだということが分かったという(笑)。
吉岡 そういう意味では、正直な映画ですよね。
立田 外国のことを語ったり、描いたりするのって実は、アーティストにとってリスキーで、ソフィアにしたってあの映画で自分がどのくらいのレベルの人間かジャッジされてしまうわけじゃないですか。そういう意味では無防備な映画ともいえるし。もっとインテリだったら、自分がどう見られるか気になって、ああいう映画は撮らないと思う。そういう意味でも面白かったですね。プラープダーにしてもそうですけど、外人が見た時に100%日本人と同じように感じることって不可能だし、そうする必要もないと思うんですよ。ズレがあったらズレがあったで、それは面白いと思う。外からはそう感じることが分かると日本人も受けとめるべきじゃないかと。そういう意味でも、プラープダーの視点は面白かったですね。龍安寺も外人さんに人気のお寺ですよね。日本人はたぶん、ああいうところには行かないですから。
吉岡 修学旅行で行ってるかも知れないですけど、すぐ忘れちゃいますよね。
立田 だいたい外人さんが行くお寺って、京都でも決まっていて、そこは英語の解説があったり、英語のできるお坊さんがいたりと、テーマパークに見えるのはしょうがない。名前は忘れましたが、ハリウッドの方がみんな行くところがあるんですよ。そこは配給の人とかも一緒にお供しても、外人の方以外はお断りって言われて、外で待ってなきゃいけないんです。怪しいんです(笑)。そこでお坊さんたちはなにを教えているんだろうと(笑)。
吉岡 他に、この本でプラープダーさんが取り上げた邦画の見方で、何か感じましたか?
立田 どこの国でも同じようなことがいえるのかもしれませんが、日本映画に関しては、日本人と外人の温度差がありますね。エッセイにもあった是枝監督の『誰もしらない』もカンヌ映画祭に出品されましたが、日本人批評家により、ウケるんです。『春の雪』もそうですね。先ほどもいったように、日本人が外国を知っているほど、外国人の方は日本を知らない。そういうこともあり、日本的なものを美化し、自分たちと違う感性――とくに日本的だと外国人の方が思えるような作品は、本来よりも高く評価されている気がします。


